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10月
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マンガのためのデザイン。ヘルメス。気に入ったけど、多分未使用。

そういや「ダークナイト」までしか見てなかった、と思い
「ライジング」を見ようと思い立って
遅ればせながらBlu-rayダークナイトトリロジーBOXを買って、見た。

なので、季節外れのレビューなんぞ書いてみる。
平たく言えば、不満を。

超絶長文なので、たたみました。
お付き合い下さる方は、左下の「ダークナイト三部作感想」からどうぞ。






「ライジング」を見終えて、「ライジング」で全てが中途半端に終わってしまったなあ…
という感想を抱いた。
ブルースの人生の物語としても、バットマンの始まりから引退への物語としても。

以下がその理由。
まず、ブルースの物語面からの不満から。

私はこの物語を大雑把に言えば、ブルース・ウェインの人生の物語として観ていた。
実際アクション映画というよりは、各キャラクターの人間性とか葛藤部分の描写に
重点が置かれた映画にしてあった。

私は特に、ブルースが「ダークナイト」まで(正しくは「ライジング」序盤まで)
引きずっていた、レイチェルへの幻想の愛にどうやって決着を着け、
未来に踏み出すのか、という部分に関心を寄せつつ、「ライジング」鑑賞に至った。

私は、前二作でクリスチャンベールが見せた
レイチェルの前でだけ見せるブルースの恋する普通の若者らしいウブな反応や
わかりやすいジェラシーなどの、人間らしさの部分で共感させる演技が、とても好きだった。

実際、レイチェルの存在は映画の中でもブルースにとって
また彼がバットマンとして活動する意味の上でも
大きな存在として描かれているように見えたので
ブルースがレイチェルの死を、どう乗り越えて未来に向かって歩き出すのかを
「ライジング」で見られると思って、期待してしまっていた。

その期待に対して言えば、
「ライジング」の評価は、前述の結論の通り「中途半端」の一言に尽きる。

ブルースは「ライジング」でセリーナ・カイル(キャットウーマン)という
自らの表の顔も裏の顔も、全て受け入れてくれるベストパートナーを見つける
という理想的な結論に至る。

しかし、ブルースの再起を願いつつ映画を観る者にとっては
結論だけではなく、その過程も…いや過程こそが大事だ。
過程がスムーズに理解出来ないと、ノーラン信者か相当な想像力の持ち主でもない限り
劇中でのキャラクターとその人物が織り成す物語にのめり込ませてもらえないし
結論にも関心がなくなってしまう。

セリーナは、物語の始まりこそ自分のことしか考えないコソ泥風情でしかない。
しかしセリーナはブルースと出会い
彼から、君はゴッサムとそこに暮らす人々を放っておけるような人ではない
という期待をかけられ、
ゴッサムを救うのを助け、街に残ってバットマンを助けてそれに応えることにより
正義のヒーローへと成長する。

セリーナの成長部分やブルースへの好意は描かれているが
(「二人で逃げて暮らそう」という発言や、バットマンへの自分からのキス)
かたやブルースのセリーナに対する反応は実にビジネスライクで
レイチェルの前で見せたような、その人といるだけで嬉しいといった恋情が
はっきりと示されることがない(少なくともわかりづらすぎる)。

セリーナの成長と、ラストシーンでセリーナがブルースの母の形見のネックレス(※)を
身につけているという「状況証拠」を通じて
その後二人になにがあったのかを「各々で想像する」しかないのだ。
(※例えばこれが、レイチェルに送るはずだった品、とかだったらまだわかる。
母のネックレス案は、過去二作でも母の描写には重点が置かれていないため
母の形見をあげた相手=ブルースがフィアンセと認めた証とするのは
観客の想像という労力なくしては成立しない。
無駄に回りくどい決定力の低い設定である。)

ブルースが作中で「きちんとレイチェルの死にふんぎりをつけられた」という
決定的な行動を伴ったシーンがないので
純粋にブルースとセリーナとのラストを気持ち良く祝福させてくれないし
セリーナが相手である必要性が薄く感じられて勿体無い。

レイチェルへの思いを断ち切るきっかけとなったタイミングは
アルフレッドがブルースにレイチェルの手紙の真実を話したタイミングがそうなのか
と思う。
が、うじうじのブルース坊っちゃまは、その後もブレイクの前で
「大事な人はいたが失って気付くこともある
(気付くこと=真実なのかもしれないが、わかりにくい)」などと
センチメンタルに語って見せたり
ミランダにレイチェルの写真について質問されれば
相変わらず未練がましく動揺を見せるのである。

なぜ観客に、まだレイチェルはブルースの中で永遠だと思わせるような描写を
アルフレッドとの決定的なやりとりの後で二度も挟んで来たんだろうか。

確かに幼少期から育んで来た恋心は、そんなにすぐ割り切れるものじゃないと思うが
そのリアリティと引き換えに、セリーナとの恋を
リアリティのないハリウッドの御都合主義的なものに見せてしまっている。
たられば話でしかないが、あのラストを迎えた二人の前に、もしもレイチェルが現れたら
ブルースはレイチェルを振り切ることが出来るのか…
本当にセリーナを愛しているのか、を疑いたくなってしまうような状態のままに感じる。

レイチェルがいてもいなくても、セリーナを選んで欲しい。
それがブルースにとっての真の幸せだ。
その幸せをブルースがどうやって掴んだかまでも観客のご想像にお任せる、なんて
ちょっと不親切すぎやしないかと思うんです。

レイチェルがブルースの中で「永遠の女性」でなくなっていく過程が
クリーンスレートを使ってまで、新たな人生を歩むという
ブルースの行動を示す重要な鍵だと思うので
そこを状況証拠だけでなく、ハッキリと解決した行動で描かないのは
ブルース物語を完結させる意味では不十分と感じるし
ブルースファンにとって生殺しだわ…と思ってしまうのは私だけなんでしょうかね。


そして、バットマンの引退物語としても
素直に「おめでとう!よく頑張った!」と言わせてくれない不満がある。

それは、過去の辛い記憶と妄執に囚われまくって
バットマンを辞められず自ら死と破滅すら望んでいたブルースが
どうやって生への道を見出したのか、という部分が
これまたハッキリと…というか芯を食った描かれ方をしていないからだ。

なので、ブルースが現実に生きることに希望を見出した結果
バットマンになることを引退したんじゃなく
ベインのような肉体派の強敵と戦い続けるのが困難だから引退する
「もうこんな敵と戦うのはおっちゃんしんどいわ~」って感じの
ネガティブな理由だけなんではないか、という風に見えてしまう。

ベインと方向性は違えど、ジョーカーやトゥーフェイスなどの強敵は今までもいて
隠居する前のバットマンは、それらの敵がもたらす危機から
命を賭してゴッサムを救ってきた。
ライジングでは、再びバットマンとなって敵から街を守ろうとしたが
その行動こそ、相も変わらず過去の呪縛から逃れられないブルースが
破滅と死への道を進んでいる象徴なのである(アルフレッドがそう言っている)。

だから、バットマンがベインと戦い
タリアが仕掛けた原子爆弾の危機からゴッサムを救う、ということだけでは
これまでのバットマンがしていることと、周囲の評価こそ違えど
ブルースにとっては今までしてきたこととなんら変わらず
「ベインらに勝利すること=ブルースがバットマンを辞め死から生への活路を見出した」
という図式にするには、弱いというか不十分と感じる。

バットマンとして評価されれば、バットマンという存在は報われるだろうけど
ブルースがこの先別の人生を生きよう、ってなるのと関係あるかな??
…わからない。やっぱり結びつけるのは強引な気がする。

バットマンはベイン相手に初めてタイマンで敗北して
「奈落」という牢獄に落とされる。
そこで初めて会った医者のおじいさんにべインの暗い過去を明かされ
べインは死を恐れる者でありお前は死を恐れないからベインに勝てなかった
というような図式が設定される。

そして、死を恐れ、恐怖を感じることから本当の強さは生まれる
(肉食獣に狙われる恐怖からアドレナリンが出て
通常より身体能力がUPして逃げ切る草食動物のような原理?)と教えられ
べインにあってブルースにないものはそれだということで「奈落」から這い上がり
ベインにタイマンで雪辱を晴らすことが出来た、という展開になる。

その「一見似たもの同士」が成した「奈落からの生還劇」は
むかし井戸に落ちて父に助けられた自分から成長し
「ブルースが過去を乗り越え進化した」かのように見せている。

だが「死を恐れなくなる=ブルースが進化した」とする図式はとっても強引。
過去を乗り越えた先の未来になにがあるのかという「未来への希望」が
これからを生きるブルースにとっては必要のはず。

実際、ベインは「死を恐れる存在」なのではなく
「愛する女が目的を達成するまで死ぬわけにいかない男」なだけで
「影の同盟」という過去に囚われっぱなしだし、ベインとタリアの関係に未来などない。
レイチェルと一緒に生きることも、死ぬことも出来なかったブルースの方が
よっぽど不幸で、希望の無い存在なのだ。
だから、ベインと「奈落」のくだりは
過去に決別し成長するブルースを描く上では
あまり効果的でない障害だったように感じる。

死を恐れない者が死を恐れるようになるには
「生への執着=生きてこうなりたい」という希望を持つようにならないと
心境の変化は起こらないはず。
「奈落」でベインを超えられず、ゴッサムを救えないまま「死にたくない=生きねば」
という即物的、動物的な図式では
バットマンとしてあることに葛藤を抱えた人間ブルースという主人公が出す結論としては
説得力が薄い。

結局バットマンは、ゴッサムを救えさえすれば、死など怖くないのだから。
最後にオートパイロットがなかったとしたら、
バットマンは沖に飛ばなかったか?いいや、飛んだはずだ。

ベインを越えてゴッサムを救い、生き残ったその先に何があるとブルースは見出したのか。
それ何なのかを、ちゃんと見せて欲しかった。
ブルースを生き残らせる結末なのだから、尚更。

バットマンが、ダークナイトという存在から
太陽の下で活動しても人々に応援されるような真のヒーローになったことも
世間からの評価でしかない。
オートパイロットを使ってまで生き延びたブルースは
世間の評価など関係なく、ごく個人的な生への希望を見出したはずなのだ。
それに至る心の動きが見えないせいで、
折角作られたバットマンの像も、これまた御都合主義に見えてしまう。

老兵は去る、という結果はいいけど、ブルースを見守って来たファンとしては
ちゃんと過去の傷にケリをつけ、新たな人生を歩み出せる人になったんだな
という安心のハッピーエンドが欲しいのである。

そこで効果的だと思われるのが
前述の「レイチェルの呪縛から解き放たれ、セリーナを愛して未来を歩む」
という心の動きなのだが、状況証拠と半端な既成事実だけがあり
過程がほとんど描かれていない。なので、欲求不満なのだ。


長々書きましたが、言いたかったのは
「ライジング」ではブルースがゴッサムを護ること以外に希望を見つけた
という過程を描くことにもっと重点が置かれるべきではなかったか
と感じてしまったということ。

ブルース…バットマンの引退とあなたの未来への門出を、安心して祝福させて欲しかったよ…

そんな感想を持ったダークナイトトリロジーでした。
ダークナイトまでは、大好きだったよ!
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